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どうなる太地町、、商業捕鯨の再開

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 日本が国際捕鯨委員会(IWC)を脱退したことにより、今年から商業捕鯨が再開されることになる。 

国際捕鯨委員会は、国際捕鯨取締条約に基づき鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図ることを目的として設立された国際機関で、1951年に日本は加入をしていた。

この問題はニュースでも多く取り上げられていて、今更ながら話す必要のないことだが、和歌山県では日本の捕鯨基地の一つである太地町があるため、議論としては避けて通ることが出来ない。

太地は古式捕鯨発祥の地とされる地域で、当地の豪族、和田家一族の忠兵衛頼元が尾張師崎(知多半島の突端)の漁師・伝次と泉州堺の浪人伊右衛門とともに捕鯨技術の研究を進め、慶長11年(1606年)太地浦を基地として、大々的に突捕り法による捕鯨が始められたと伝えられている。

その後、延宝3年(1675年)に、和田頼治(のちの太地角右エ門)が網取り法を考案したことによって、太地の捕鯨が大きく発展し、現在にも伝えられている。

明治11年に捕鯨中の事故により百名以上の死者を出し、一度は太地の捕鯨そのものが崩壊をしてしまったが、その時から25年が経過し、日露戦争終わったころに、近代的な大資本による捕鯨基地ができあがり、多くの船で賑わいを取り戻し、鯨体の処理場や鯨を缶詰にする工場も新しくでき、太地は再び捕鯨産業が盛んになっていった。

しかし、 1988年3月に国際捕鯨委員会(IWC)が捕鯨全面禁止を決めたことにより、日本は沿岸捕鯨の
中止を余儀なくされており、南極周辺による調査捕鯨のみが行われていた。 

今回、日本の国際捕鯨委員会(IWC)の脱退により、太地町でも沿岸捕鯨が再開されるであろう。

捕鯨そのものは日本の文化であり、食文化でもあるため、日本人としての反対論は少数であると思われる。

もちろん、私自身も異論は唱えるつもりはない。

しかし、食文化におけるクジラの需要はどうなんだろうか?

現在の日本で、牛、豚、鶏に近い需要があるのだろうかと考えると、頭を傾げる部分もないわけではない。

戦後の日本で、牛、豚、鶏が高価であったため、食糧事情が悪い時期にはかなりの需要が見込まれた食材ではあった。

学校給食の竜田揚げと言えば、鯨肉だったことを思いだす。

捕鯨を伝統としている国は、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)、カナダなど、、

カナダと日本はすでに脱退をしているが、国際捕鯨委員会(加盟国88カ国)の内、捕鯨支持国は39カ国、反捕鯨国は49カ国である。

反捕鯨国は、オーストラリア、フランス・スペインなどのEU加盟諸国、ラテンアメリカ諸国(反捕鯨の立場を鮮明にしているアルゼンチンやブラジル)、インドやニュージーランドも反対を表明している。

過激な反捕鯨活動で知られる団体に「シーシェパード環境保護団体」があるが、本部はアメリカのワシントンにある。

今後、彼らの動きからも目が離せない、和歌山県太地町である。

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