FC2ブログ

記事一覧

行基が眠る

gyouki01.jpg

生駒山の東麓に竹林寺と云う律宗の古寺があり、その傍らに「行基」の墓がある。

行基とは、奈良時代、聖武天皇に東大寺の大仏建立を任された法相宗の僧侶であるが、若し頃は全国を回り、一般大衆に仏教の布教に務める私度僧であった。

私度僧とは、国家に属し衣食住を保証された官僧とは異なり、天皇の正式な許可を得ないで出家したボランティア僧の事である。

行基は私度僧の代表的な僧侶であるが、貧困に喘ぐ民衆を率いて、架橋、溜池の整備、港の整備などの土木事業などに尽力を行い、また、窮民や孤児を収容する「布施屋」の建設に務めた。

行基の活動は瞬く間に民衆に知れ渡り、人気が高まると共に道場が広がり、全国に49院に及んだ。

国はその勢いを恐れ、僧尼令に基づいて道場の禁止令を度々出していたが、聖武天皇は方針を転化し、大仏建立に行基の力を借りることを決めた。

大仏建立の責任者を命ぜられた行基は、4年後には大増正の位を賜り、行基の徳を慕った一般の人々がこぞって工事に協力をしている。

行基は大仏の建立をみることなく81歳で没するが、民衆に尽くした生涯は、のちに行基菩薩として宗派を超えて尊崇されている。

大仏は745年に製作が開始され、7年後の752年に開眼供養会が行われた。

天平21年(749)2月2日に喜光寺(菅原寺)で逝去し、遺命に依って生駒山東陵で火葬され同地に埋葬され、舎利を器に納めて多宝塔を建てたとあり、この行基の墓所が当寺院の開基であったとされている。

この地は、行基が孝養のために母と過ごした「生駒仙房」があったという説が現在、有力であるとされている。


















スポンサーリンク

コメント

コメントの投稿

非公開コメント